海籠り志カウンセラーのみやです!
今回もお越しくださり、ありがとうございます!!
わたしが好きな番組の一つに、「映像の世紀バタフライエフェクト」があります。
先日、「独ソ戦 地獄の戦場」が放送されていました。
独ソ戦に日本は参戦していないので、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。
独ソ戦は、第二次世界大戦の中の戦いの一つで、ナチス・ドイツとソ連(現在のロシア)の4年にわたる戦いです。
この戦いは、死者3千万人を超える史上最悪の犠牲者を生みました。
ドイツ側の犠牲者が約350万人
ソ連側の犠牲者が約2,700万人
と言われています。
ちなみに、太平洋戦争での日本人の犠牲者は約310万人と言われています。
独ソ戦の犠牲者がいかに多かったのかが、わかります。
ドイツとソ連の犠牲者を見ると、ドイツが勝利したように感じますが、勝利したのはソ連でした。
一体、何があったのか…
独ソ戦のきっかけ
ドイツとソ連は「独ソ不可侵条約」を結び、互いに攻撃しないことを約束していました。
しかし、ドイツの独裁者ヒトラーは、ソ連を奇襲し、独ソ戦が始まりました。
ヒトラーは、ソ連の広大な土地にドイツ民族を移住させ、ヒトラーが劣等民族として見下していたスラブ民族(ロシア系の人々)を奴隷として、ドイツ人のために強制労働させることを目指していました。
わたしからすると、侵攻の動機が???です。
これを国のトップの人たちが、本気で実行しようとしてたかと思うと、理解に苦しみます。
こういう考えを持つ人が権力を持つことは本当に怖いことだな、と…。
当初はドイツの連戦連勝だったけど…
戦争開始当初は、ドイツが連戦連勝でした。
独ソ戦の数年前、ソ連では独裁者スターリンによって、3万人もの軍の将校が逮捕処刑されていました。
そのため、経験の少ない若手将校がほとんどでした。
ドイツ軍は、ソ連の首都モスクワまで、数10キロというところまで、迫りました。
しかし、ここで「冬」がソ連に味方します。
舗装されていないソ連の道路は、雪が降るとぐちゃぐちゃになり、車か進むことは困難でした。
補給物資も届かなくなりました。
さらに-42℃という100年に一度の大寒波がドイツ兵を襲いました。
これにより、兵器は使用不可能となり、多くのドイツ兵の命が失われました。
ドイツは撤退をせざるを得なくなりました。
ただ、戦争はここで終わらず、さらに泥沼化していきます。
さらに泥沼化していく…
ヒトラーが次に狙ったのが、スターリングラードの占領でした。
ドイツはスターリングラードに、1週間にわたり空爆を行いました。
ソ連側は、何とか市街戦に持ち込もうとします。
市街戦に持ち込めば、味方への誤爆を恐れたドイツ軍が空爆を辞めると考えました。
しかし、この考えがさらに戦争を泥沼化させます。
壮絶な市街戦の舞台となったスターリングラード。
ソ連兵は、空爆で破壊された建物の下に身を隠し、現れたドイツ兵を倒していきました。
スターリングラードでは、建物が燃える煙で、昼間でも先が見えず、まるで地獄のようだったと言われています。
市街戦となり、ソ連兵とドイツ兵が1メートルでも領土を死守するために至近距離で一つの建物を奪い合う壮絶なものでした。
脱走兵が増えたソ連は…
そんな状況のため、ソ連兵の中には脱走するもの、わざと怪我をして戦線から離れようとする兵士が
増え始めました。
スターリンはそれを阻止するために、味方の見張りを専門に行う「督戦(とくせん)部隊」を組織します。
督戦部隊は、戦場から逃げようとする兵士を見つけると、有無を言わさず、即射殺しました。
そして、その兵士の家族は収容所へ入れられました。
この督戦部隊は、13,000人以上を射殺したと言われています。
敵からも味方からも狙われて、逃げ場がなくなったソ連兵。
味方への恐怖心と敵への憎悪で多くの兵士が自暴自棄になり、ドイツ兵へ向かっていきました。
退路をを断たれたソ連兵の戦い方にドイツ兵は苦しめられることになります、
しだいに追い込まれたドイツ軍は撤退を始めます。
終わらない戦争
少しでもソ連の追撃を遅らせるため、ドイツ軍は村々を焼き払いながら、撤退していきました。
これにより、1,000万人もの人が家を失いました。
ソ連兵は、さらに憎悪と復讐心を募らせ、追撃を行いました。
ドイツを追い払うことに成功したソ連ですが、それだけはこの戦争は終わりませんでした。
通常、戦争の目的を達成したら、和平交渉が行われ、講和を結んで戦争を終結させます。
しかし、独ソ戦は互いに滅ぼされるべき敵とみなしていたので、どちらかが滅びるまでこの戦争を終わらせることができなかったのです。
ヒトラーはスラブ民族であるロシア人は、劣等民族だから滅ぼされるべきだと本気で考えていました。
スターリンは、ファシストであるドイツ人は人間ではない。1人でも多くのドイツ人を殺せ、と国民を煽りました。
ベルリン陥落へ…
今度はソ連が、ドイツの首都であるベルリンへ進軍します。
1945年4月、ソ連軍はベルリンへ到達。
もうドイツには戦う力はありませんでした。
勝つ見込みがないと悟ったヒトラーは、4月30日、自ら死を選びます。
その後、5月2日ベルリン陥落、ドイツはついに降伏しました。
独ソ戦はとは何だったのか…
ベルリンに入ったソ連兵は、初めて見るドイツの豊かさにショックを受けました。
あるソ連兵の言葉が残っています。
「こんな暮らしをしていた連中が、なぜ、ロシア侵攻を望んだ?」
「なぜ、俺たちのところへ攻めてきたんだ?何が欲しかったんだ?」
わたし自身も、最後まで番組を見て感じたのは、一体この戦争は、何だったのだろうか…
それ以上の言葉は出てきませんでした。
戦争に勝利したソ連でしたが、犠牲はあまりにも大きいものでした。
この戦争のソ連側の犠牲者は、2,700万人。
当時のソ連の人口の16%にもなりました。
しかし、スターリンは正確な犠牲者数を公表することはありませんでした。
そして、独ソ戦は後の世界にも影響を及ぼすことになります。
降伏したドイツは、戦後、ソ連やアメリカなどに分割統治されることになりました。
その後、西ドイツと東ドイツという2つの国家に分断され、1990年のドイツ統一までその状態が続きました。
人類史上最大の犠牲者を出した戦いと言われる独ソ戦。
悲惨な戦いからは、目を背けたくなりますが、同じ道を辿ることが二度とないよう、歴史の負の部分も語り継いでいく必要があると考えています。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!