はじめまして。未来型天命鑑定士のみやと申します。
数あるブログの中から、当ブログにお越しくださり、ありがとうございます!
とてもうれしいです!
今の社会では、
仕事とは、辛いもの…
我慢の対価で、お給料がもらえる…
ストレスは当たり前…
そんな価値観が一般的だと思います。
かつてのわたしも、そうでした。
大怪我しない程度に、事故にでも遭って出勤できなくなればいいとか、不謹慎な考えが頭をよぎることがありました。
そんな毎日でいいのか…
とは言っても、お金やいろんなしがらみがあって、やめられない…
かといって、他にやりたいことも、転職したい先もない・・・
だけど、「好きなことを仕事にする」という生き方と出会ったことにより、人生が変わりました。
・毎日ワクワクした気持ちになり、日々のストレスが減っていき、副業からこっそりと好きなことをお仕事にしていくことができるようになった。
・やりがいや夢中になる時間が増え、夫や子どもたちとも心穏やかに過ごせるようになった。
・自分の魅力に気づき、人と比べて無意識に順位付けすることがなくなり、ありのままの自分を受け入れられるようになった。
だからこそ、
毎日、好きなことをしながら、活き活きと生活していくことが、当たり前の世の中になってほしい。
そんなふうに毎日、活き活きと生活できる人が1人でも増えることで、社会全体が豊で暮らしやすい世の中になることにつなげていきたい。
結果、日本の国を良くすることにつなげたい。
そんな世界をまずは1人から、ひっそりと実現できれば、と考えています。
そんな想いから、
・公務員などの安定した仕事をしているけれど、自分の本当にやりたいことがわからず、嫌々仕事を続けていて、日々のストレスに苦しんでいる人。
・会社のために自分本来の良さを抑えこんで、我慢し続けている人。
・現状を変えたいけれど、自分だけではどうしたらよいかわからず、悩んでいる人。
こういったことなどで悩んで苦しんでいる方に向け、
・本当にやりたいことや、自分自身の隠れた本来の魅力の見つけ方。
・生き方にはいろいろな選択肢があり、ありのままの自分で良いということ。
・好きなことを仕事にして、心穏やかに生きていくこと。
というような想いを伝えていきたいと思い、このブログを立ち上げ、やりたい仕事を見つけありのままの自分を磨き精進して好きなことを仕事にするサポートをしています。
ここでは、わたしは何者なのか、どうしてそう想うに至ったのかなどの過程を、お伝えしていきたいと思います。
越後の歴女公務員とは何者なのか?
米の味の違いがわかる女
越後とは、現在の新潟県のこと。
わたしは、新潟県生まれ新潟県育ちです。
父の仕事の関係で、生後6ヶ月から8ヶ月頃まで群馬県に住んでいたことがありますが、それ以外は、ずっと新潟暮らしです。
場所にもよるんでしょが、新潟は田舎過ぎず都会過ぎず、暮らしやすいです。
海や山の自然にも触れあうことができます。
米どころですので、米は美味しいです。米の味の違いがわかるようになりました!
地酒もたくさんあります。ただ、わたしは下戸ですので、あまり恩恵は受けていません。汗
新潟の海や山、季節により緑から黄金色に変わる越後平野から日々エネルギーをもらっています。
そして歴女ということで、歴史が好きです。
初恋の相手は牛若丸です。(歴史について詳しくはのちほど)
そんな私の始まりはノストラダムスの大予言だった!?
夢も希望もなかった中学時代
「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってきて…人類は滅亡する」
あなたは、この大予言をご存知ですか?
30代以上の方はご存知かも知れません。
思春期だった頃のわたしの周りでは、この予言が話題になっていました。
信じている人、信じていない人、それぞれ半分くらいだったでしょうか。
わたし自身は、半信半疑でしたが、心のどこかでこの予言のことが頭にありました。
大人になれないかもしれない…。
そんな想いが少女だった頃のわたしの頭の片隅ありました。
わたしが思春期を過ごした1990年代。
バブル経済は崩壊し、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が立て続きに起き、日本全体が混沌とした閉塞感に覆われていたような気がします。
そして、ノストラダムスの予言。
自分の未来を思い描くことができませんでした。
当時、人気だった野島伸司脚本のドラマを見ていたわたしは、大人や社会は汚れているものだとも思っていました。今思うと、反抗期というか中二病だったのかもしれませんが。笑
中学の時に、将来の夢を発表する授業がありました。
わたしは、何も思い浮かばず、発表することができませんでした。
そんな、夢も希望もない、やりたいこともない自分自身がコンプレックスでした…。
我が家に恐怖の大王が降ってきた高校時代
1999年に人類が滅亡することはありませんでした。
しかし、我が家にピンポイントで魔王がやってきてしまいました…。
父親が失業したのです…。
父親は銀行員でしたが、勤めていた銀行が破綻しました。
銀行員というと、公務員に匹敵するくらいの安定の職業だと思っていたので、衝撃でした。
生活していけるのだろうか、高校を辞めて働かないといけないのだろうか…
不安でした。
毎日、遅くまで働き、銀行に尽くしてきた末路が退職金も出ず、50歳を超えてから再就職先を探さなければならない。
父のことを考えるといたたまれなくなりました。
幸い、失業保険も出たおかげで、生活は大きく変わることなく、奨学金を借りて大学進学もできることになりました。
夢も希望もなかったわたしが、進路について真剣に考えなければならない時が来ました。
父のことがあり、とにかく将来性があって確実に就職できる仕事に就きたいと思っていました。
その当時、テレビなどで少子高齢化について、盛んに取り上げられていました。
確実に就職できそう
せっかく仕事をするなら、人の役に立ちたい
という考えから、福祉の業界に就職しようと決めました。
こうして、介護の仕事につきました。
そこの職場を選んだのは、ボーナスも出て、休日もしっかりしていたからでした。
しかし、実態は求人票に出ていた内容とは、違い、なかなかブラックなところでした。
ボーナスは出る時と出ない時がありました。30 万ほど支給されるはずが、2 万円だったり、なかった時もありました。
残業代という概念もなく、サービス残業が当たり前でした。
待遇の悪さから、人間関係も最悪でした。
そんな経験から、なるべく大きな組織で働かないとダメなんだ、と感じたのです。
安定の代表格といえば、公務員です。
しかも、福祉系の部署に配属されれば、勉強してきたことも活かせそうだし、地域住民の役に立てるのではないかと思ったし、何より長く安定して働けると思い、公務員試験の勉強を始めたのでした。
福祉枠の公務員もあったため、わたしは、「公務員」をゴールに設定しました。
そして、3回目の挑戦で公務員になりました。
なりたかったはずの公務員だったはずなのに・・・
最初は、役所でキャリアを積んで、定年まで一生懸命に働くぞ!と、前向きな気持ちで頑張っていました。
けれども、公務員の現実に直面していきます。
公務員は、国や市町村の制度通りに仕事を行なっています。
制度は完璧ではなく、どうしても制度の対象になれない人も出てきてしまいます。
困っている人を助けられないもどかしさがありました。
また、対応してきた方の中には、思うような結果にならないと、怒鳴り散らしたり、暴れたりする人もいました。
「バカ」「死ね」
などの暴言のほか、
1日に何度も同じ人から、電話がかかってきて、何時間もクレームが続くこともありました。
他の同僚は、うまく割り切ったり、気にしないようにしていました。
わたしは、公務員は、切り替えができて、メンタルが強くて、コミュ力が高い人に向いていることに気づきました。
わたしは、どれも持ち合わせていません。
わたしは割り切るのが下手で、家に帰っても、休みの日もずっと仕事のことを引きずってしまいます。
1回、怒鳴られると萎縮して、また、同じことが起きるんじゃないかと、起きてもいないことに、ビクビクするようになっていました。
怖くて、電話や窓口にもすぐに出られなくなりました。
そして、仕事に行くのが憂鬱で仕方なく、日曜日は、夕方どころか、朝から憂鬱になるようになりました。
仕事から帰ると、子どもたちの顔を見てほっとして、泣き出してしまうこともありました。
ストレスの影響で、些細なことにもイライラするようになりました。
子どもがわざとじゃなくても、何かをこぼしたりすると、必要以上に怒鳴ってしまう自分がいました。
でも、それはわたしに怒鳴っていた人たちと同じことを自分もしていると気づき、ショックでした。
自己嫌悪の日々が続きました。
夫に対しても、夫の欠点ばかりが目に付き、
わたしは仕事がこんなに大変なんだから、もっと察してよ!
という気持ちで、いつも不満だらけでした。
仕事も家庭も上手くいかず、精神的に限界でした。
さらに異動でプライドがズタズタになり、自信喪失
わたしの職場では、基本的に同じ部署から同じ部署という異動はほとんどなく、違う仕事内容の部署に異動することが通常でした。
わたしも他の同僚と同じルートを辿るものだと思っていました…。
しかし、
異動発表の時に告げられた異動先はまさかの同じ職種の部署でした。
勤務地が変わっただけで、別の支所の同じ部署という感じです。
わたしのいた部署は、どちらかというとあまり人気のない部署で、異動という名のもとに、「この仕事から卒業したい」という想いがありました。
場所だけ変わって、同じ仕事というのは、私の中で例えると、ようやくフルマラソンを走り終えたのに、休憩もなしに、「もう1度、走ってこい」と言われるような、そんな感覚でした。
本当に新年度を迎えるのが憂鬱でたまりませんでした。
何よりも辛かったのは、周りの同僚たちからは「かわいそうだね」という声をかけられることが多かったこと。
その言葉で、「わたしって、かわいそうな、残念な人なんだ」と思うようになり、いろんな仕事を経験して、キャリアアップを目指していたわたしのプライドはズタズタになりました。
また、他の人たちが、すんなりと違う部署へ異動していたことが、本当に羨ましくて仕方ありませんでした。
「なんで、みんなが当たり前にしていることを、わたしだけさせてもらえないのか?」
そんな想いが強くなりました。
そして、その当時、自分が出した結論が、
「自分が仕事ができない人だから、新しい仕事をさせてもらえないんだ」
というもので、自分自身を責め、自信を喪失し、モチベーションも無くなりました。
そんな心理状態で、異動先へと向かうことになります。
異動先でストレス過多になり
新しい異動先は、わたしが異動してきた当時は、20人ほどの部署でしたが、1度に3人が療養休暇に入るようなところでした。
もともとギリギリ人数配置の中で、3人もいなくなるのは、かなり大変なものがありました。人員の補充があるわけではないので、異動前と比べ、仕事量が3倍になってしまいました。
そんなハードワークの中、クレーマー気質のお客さんを担当したりと、精神的にも追い詰められていくことになりました。
他の職種の部署へ異動さえできていれば、こんな辛い思いをしないで済んだのに…
毎朝、仕事に行くのが憂鬱で仕方なく、常に仕事のことで頭がいっぱいでした…。
「わたしも療養休暇に入りたい」「このまま、全部投げ出して、明日から休みたい」
いつもそう思っていました。
でも、結局、療養休暇に入る勇気すらなかったわたしは、異動できるまでやり過ごす道を選んだのでした。
常に仕事のことで頭がいっぱいで、日曜日になると、サザエさんどころかプリキュアが始まるとすでに憂鬱になってしまいます。
せっかくの長期休みも、次の出勤までのカウントダウンと化していまいます。「あと、何日で仕事だ」と。
せっかくの休みも仕事のことを考え憂鬱になってしまい、心の底から楽しむことができなくなってしまいました。
休みなのに、心は出勤しているような…。何だか、もの凄く損しているような気持ちになりました。
わたしが10代の頃から求めていた「安定」。それを手に入れるため、心の安定を失ってしまいました。
突きつけられた事実
そんなストレスフルな日々のなか、自問自答を始めていました。
「他の職種の部署に行きたい、って言っているけど、じゃあ、どこの部署に行って何をしたいの?」
その問いかけにわたしは答えることができませんでした。
「今の仕事から逃げ出したい」「大変そうなところでなければ、どこでもいい」という自分の本心を突きつけられたような気がしました。
この職場で明確にやりたいこともない。
だったら、この職場は自分のいるべき場所ではないのではないか?
結局、その部署へ行っても大変であり、結局、異動のたびに同じことの繰り返しになるのではないか。
同じことが定年まで数十年繰り返されると思うと、ゾッとしました。
そんな苦しさから逃れるために、転職を考えたりしました。
でも、公務員の安定や公務員試験をくぐり抜けてきたことを思うと、もったいない気がしました。
そもそも、転職したからといって、100%、上手くいく保証はありません。
転職先の人間関係や仕事内容が自分に合うかは、実際に働いてみないとわからないからです。
転職は、わたしにはリスクが大き過ぎました。
そもそも、やりたいことなんてないから、転職したい先がありませんでした。
今の生き方には違和感があるのに、だからといって、どうしていきたいのか、という自分がない・・・
わたしは、やりたいことがない、ということに気づいてしまいました。
そもそも、昔から将来の夢なんてなかった。
中学3年生の時、クラスで将来の夢を発表した時も、みんな思い思いに発表していたのに、わたしだけ答えることができなかった。
ずっと受け身で生きてきて、自分を持っていないことが、ずっとコンプレックスでした。
そのことを改めて、突きつけられたように思いました。
無職になるわけにもいかず、結局は、大人しく、定年まで我慢して、公務員を続ける道しかないと悟りました。
絶望感でいっぱいでした。
そんなさなか、家族旅行で感じたこと・・・
仕事でストレスMaxの時に、家族旅行へ行きました。
非日常の世界へ行くことで、ようやく仕事のことを忘れられ、リラックスすることができたのです。
頻繁に旅行に行くことができれは、ストレスが解消されるかもしれない。
でも、そんなお金はありません。
だから、副業をして金銭的なゆとりを得ようと考えたのでした。
もうストレスで押し潰されそうで、副業禁止とかを考える余裕もありませんでした。
今思えば、心の奥底で公務員を定年まで続けられないと感じていたからかもしれません。
副業を探す
こうして副業を探し始めました。
副業と言っても、週末どこかに働きに出たりするWワークは無理でした。
確かに、どこかに勤めればすぐにお給料はもらえます。
公務員が他の会社からお給料をもらうのは、さすがに良くないことだと思いました。
そもそもWワークをする気力も体力もありません。
外に働きに出ることは、身バレの危険性も高いです。
Wワークは、考える余地もなく却下でした。
となると、自宅でひっそりとできる副業がいいなと思うようになりました。
また、子どももいるので、自分の都合の良いタイミングで、自分のペースでできる副業がいいと思いました。
つまり、時間と場所に縛られない副業
そんな、条件を満たす副業が‥
あったのでした。
パソコンとネット回線さえあればできる副業
在宅でできる副業を探していたところ、「アドセンス」や「アフリィエイト」という収入を得る方法があることを知りました。
アドセンスとは、広告を自分のブログ記事に貼り付けて、自分のブログを訪問した読者さんが、広告をクリックすると、自分に報酬が発生するというもの。
表示される広告は、その読者さんが過去に検索したことを元に表示されます。
アドセンスは、1クリック10円から100円くらいになります。
アフィリエイトもブログに広告を貼るのですが、読者さんが広告をクリックし、商品を購入してもらうことにより、報酬が発生します。
アドセンスと違うのは、購入してもらいたい商品の広告を貼り、それを購入してもらうための紹介の記事を書いていきます。
アフィリエイトは、1つ商品が売れると商品によってですが、数百円から1万円くらいの報酬になります。
アドセンスやアフリィエイトは、パソコンとネット回線があれば、始めることができるのが魅力的でした。
初期投資の必要もなく、一概には言えませんが、かかる経費は、年間の数千円〜数万円のサーバー代などです。
また、必ずしも顔や本名を出さなくて良いところも、魅力でした。
まさに、こっそりひっそりと低リスクで、副業を始めたいわたしにとっては、ぴったりでした。
ブログ以外の副業は?
その他の副業も調べていました。
わたしが調べた中には、F X(外国為替取引)や不動産投資がありました。
こちらは副業というよりかは、実際に周りの公務員の人も資産運用の一環で、行っている人もいました。
毎月のお給料が一定の公務員に、オススメとネット記事などに紹介されていました。
F Xや不動産投資は、一定の基準を満たせば、副業規定には違反しないこともわかりました。
でも、最初の軍資金が必要なので、失敗した時のリスクが大きいように思えました。心配性のわたしは、始めようとは思えませんでした。
そもそも、わたしはF Xや不動産投資に関心が持てず、勉強をする気力が湧きませんでした。
その他、物販という副業もありました。
こちらは、品物を安く仕入れ、利益分を上乗せした値段で販売し、収益を得る方法です。
こちらも、上手くいかなかった時に、在庫を抱えてしまうことになります。
仕入れのために使った費用を回収できなくなるのが、不安でした。
なので、物販も心配性のわたしは、始めることができませんでした。
でもブログは、
- 時間や場所を選ばず、好きなタイミグでこっそりできる
- 顔や本名を出さなくてもできる
- パソコンやネット環境があれば、始められる、軍資金や商品の購入などが必要ない
- 経費がサーバー代や電気代などで、年間数千円〜高くても数万円で済む
まさに、低リスクで、こっそり副業を始めたいわたしにぴったりでした。
こうして、心配性のわたしは、副業としてブログを選んだのでした。
でも、副業禁止の中でやってもいいのかな・・・?
でも、いざ始めようと決めた途端、
本当に始めていいのかな…
バレたらどうしよう…
という気持ちに支配され、始められなくなってしまいました。
わたしはやるべきじゃないのかも…
でも、副業を諦めることは、わたしにとって、ずっと辛い仕事のストレスにさらされ続けることを意味していました。
どうしても諦めきれず、
「公務員」「副業」「ブログ」
といったキーワードでめちゃくちゃ検索しまくりました。
調べてみると、公務員ブロガーさんがたくさんいることがわかり、すごく勇気をもらえたことを覚えています。
なかには、ブログで公務員のお給料よりも収入を得られるようになったので、公務員を辞めている人も多くいました。
先輩ブロガーさんが言っていたこと
「バレたらどうしようということは、稼げるようになった時に、初めて悩むことです」
わたしは、この言葉を聞いて、目から鱗というか、すごく気持ちが楽になりました。
そもそも、収入を得ていなけれぱ「副業」にはならないですよね。
先輩ブロガーさんも言われていましたが、バレる場合のパターンとして、
①自分から周りに言う
②本名、顔を出している
③税金の納付のタイミング
というパターンが多いです。
①、②は、自分から言わない限りは、わかりません。
ちなみに、この後、わたしは周りに一切言わず、顔や本名は出さないで、ブログを書いていたので、ブログに1日に2,000~3,000アクセスが来ていたときも、バレることはありませんでした。
③に関しては、それこそ納税するくらい、副業で稼げるようになってから、出てくる問題です。
ちなみにアルバイトや会社員などでお給料をもらっている場合、ブログ収入が年間(1月~12月)20万円以下であれば、確定申告をしなくても良いことになっています。
参考:国税庁のHP~給与所得者で確定申告が必要な人のページ~
実は、バレたらどうしようかということは、始める段階では悩む必要がないことだったんです。
むしろ、悩むくらい収入を得られるようになるには、どうしていけばいいのかを考える方が先だったのです。
このアドバイスをきっかけに、いよいよ書き始めることになります。
ところがさらに問題が・・・
いざ書き始めるとなると、何をどう書いていいか全くわかりませんでした・・・
1人でブログを書いていると、本当に自分のやり方で良いのか、不安になります。
そんな状態で、聞ける人がいないと、本当にしんどいです。
モチベーションも下がっていきます。
今は、たくさんの人がブログの書き方を記事にしているので、調べればわかることも多いです。
でも、ネット上に転がる無数の情報から、自分が必要な情報を取捨選択していくのは、時間がかかりました。
わからない事を調べるのに時間がかかって、記事書きが進まないことがよくありました。
特に副業ブログだと、ブログに使える時間が限られてしまうので、調べている時間がもったいないというところもありました。
ですので、誰かに教わりたい、という気持ちが出てきました。
ブログをはじめるときに参考にしていた公務員ブロガーの人たちの中にも、ブログのサポートをしている人もいました。
ですが、わたしが目にした公務員ブロガーさんたちは、実績がすごくて…。
1年で月100万円を超えて、あっさり公務員の月収をこえました!
年収5千万円以上稼げるようになって、公務員を続けるのがばからしいので辞めました!
と、金額面での実績がとてもすごかったのです。
でも、その頃のわたしは異動でズタボロになっていて、周りからも「かわいそうな人」と言われていたので、劣等感の塊でした。
だから、あまりの実績の凄さに引け目を感じてしまいました。
その公務員ブロガーさんたちが、公務員でありながらもブログを始めた理由が、公務員が辛いといよりは、「公務員がつまらない」「自分の裁量でビジネスをやりたい」とすごく前向きな理由でした。
わたしは、きっとこの人たちは、公務員として働いている時も優秀な人で、公務員の枠に収まりきらないような人たちなんだ。
と勝手に思い込んでしまいました。
ただ、公務員から逃げたいと思っていた自分が、そんなデキる人たちに連絡を取ることに一方的に引け目を感じていたのです。
また、どんなことをやっていきたいかというより、「お金を稼ぐ」というこが目的になっていて、あくまで「お金=目的」 「ブログ=お金を稼ぐための手段」という印象を受けてしまいました。
わたしも1番最初にブログを始めようと思ったのは、「副収入を得たい」というところでしたので、それでいいはずでした。
でも、なぜか違和感を感じてしまいました。
お金を稼げれば、何でもいいわけじゃない…
公務員以外の世界に目を向け始めたことで、自分は本当は何がしたいのか、自分の可能性を探りたい
そんな想いが芽生え始めていました。
そんな時に出会ったのが山に籠もっている人
そんな時に出会ったのが、こっそりひっそり好きなことを仕事にして、山に籠もっている人でした。
その人は、ブログに好きなことを書いて、山に籠もりながらも好きなことを仕事にして、生活しているというのです。
好きな時間、好きな人と、好きな場所で生活できる。
通勤のストレス、職場の人間関係のストレスに悩まされることのない生活。
本当に、そんなことができるのだろうか。
どこかに雇用されることが全てのわたしにとっては、未知の世界であり、衝撃でした。
実際にそんな生活を送っているのは、どんな人たちなのか、自分の目で確かめてみたい、と思うようになりました。
ちょうど、そんな先生が東京でセミナーを開くということで、新潟から東京まで思い切って行ってみることにしました。
セミナーというと、自分に自信のあるような人が参加するイメージがありました。
行くとは決めたものの、わたしのような自信がない人間には場違いじゃないかと、心臓が飛び出るくらい緊張していました。
でも、そのセミナーに来ていた人たちは、良い意味でどこにでもいるような普通の人たちで、安心したのを覚えています。
もともと、ネガティブだったり、自信がなかったり、コンプレックスがありながらも、好きなことを仕事にして、自立している人たち・・・
今までは、好きなことを仕事にしている人たちについて、架空の世界の話なんじゃないかと、頭の片隅で思っている自分がいました。
でも、実際にそういう人たちが存在していることを目の当たりにし、しかも、自分に自信があるガンガン突き進むような人たちでもない。
もしかしたら、わたしにもできるかもしれない、と思い始めました。
そこで、仕事には、4つの種類があることを知ります。
①ライスワーク
文字通り、ご飯を食べるために働くということ。やりがいなどは関係なく、生活のためだけに働いている。
②ライクワーク
好きなことを仕事にしていること。
③ライフワーク
好きなことを仕事にし、さらに、他者にも貢献している。
④ライトワーク
いわゆる天職。
こういう仕事の分類があるのは、この時初めて知りました。
仕事っていうのは、生活のためにするもので、我慢するのが当たり前、という価値観で生きてきました。
現実のわたしは、日曜の朝から、月曜のことを考え、憂鬱になります。
公務員を続けている理由は、安定した給料と公務員という安定した身分を守るため。
それ以外に続けている理由は、ありません。
わたしはまさに、ライスワークでした…
でも、自分自身も楽しさややりがいを感じながら、人の役に立つことができたら、どんなに良いだろうか、と思いました。
一度きりの人生なら、どうせなら、ライトワークまでは難しくても、ライフワークまでにはたどり着きたいという想いが、湧き出してきました。
それと同時に、セミナーの中で、現代の多くの人たちが、仕事のストレスを抱えている。
そんな大人たちを見ている子どもたちは、将来に夢や希望が持てなくなるのではないか。
というお話がありました。
これはわたし自身が、ぼんやり感じていたことでもありました。
わたしの子どもたちにとって、一番身近な大人はわたしです。
そんなわたしが、毎日ストレスを抱え、余裕がなく、イライラしたり、時には、子どもにキツく当たってしまう時もあります。
一番ひどいときは、仕事から帰ってきて子供の顔を見て泣き出してしまう・・・
こんな大人を間近に見て育ったら、子どもたちは、仕事って辛いもの、大人になりたくない、と思ってしまうかもしれません。
現に、わたしの子どもは、「ママと同じ仕事はしない」と言っています。
先生のお父さんは、鉄道員をされていたそうで、誇りややりがいをお父さんの背中から、感じでいたそうです。
そんな姿に、憧れの気持ちを持っていたそうです。
わたしも子どもたちに、
仕事というのは、大変なこともあるけど、やりがいや生きがいを感じながら、人の役にも立てる楽しいものだ。
という姿を見せていきたいと思いました。
子どもが大人になった時、思い出の中のお母さんが、イライラしているよりは、生き生きしていたほうが良いと思います。
公務員の安定と、子ども、どちらが大事か、答えはもう出ていました。
子どもの将来に、夢や希望を与えられるような存在でありたい
子どもに誇れるような自分でいたい
好きなことを仕事にすることで生き生きと働く自分の姿を見せていきたい
このセミナーがきっかけで、この人から学んでいきながら、好きなことを仕事にする、という道を本気で目指すことを決意したのです。
そこから1年半後・・・
わたしは、20年間やりたいことが見つからなかったのに、やりたいことが見つかり、さらに、そのやりたいことでお金をいただくことが、できるようになりました。
今では、その経験をもとに、やりたい仕事を見つけありのままの自分を磨き精進して好きなことを仕事にするサポートをしています。
この間に一体何があったのか、どんなことをしていったことで、好きなことを仕事にすることができるようになったのか・・・
そんなことを、7日間の講座にまとめてみました。
その他、好きなもの
歴史 初恋の相手は牛若丸
歴女ということで、歴史が好きです。歴史が好きになったきっかけを紐解いていくと…。
幼稚園の頃、「牛若丸の話」が大好きでした。牛若丸の話のビデオテープを持っていて、すり切れるくらい見ていた記憶があります。
強い美少年。そして、どこかはかない感じ…。女子の憧れじゃないですか!?笑
「日曜20時は大河ドラマ」の家庭で育ち、子どものころから物語として歴史に接していました。
歴史好きを認識し始めたのは、小学生くらい。豊臣秀吉の影響が大きいです。
低い身分から天下人まで出世を遂げた秀吉。異例の出世を遂げた秀吉という人物とそれを可能にした時代に興味を持ち始めました。
賛否がわかれる秀吉ですが、わたしはサクセスストーリーを体現した人として、夢があっていいなと思います。
努力すれば、なりたい自分になれるのではないか、と思わせてくれた人物です。
秀吉の他には、徳川家康、石田三成、新選組、源義経が好きです。
好きな時代は、戦国時代、幕末、近代史、あと鎌倉時代です。
好きな大河ドラマは、「葵徳川三代」「新選組」「独眼竜政宗」「真田丸」「太平記」「黄金の日日」です。
追加で、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、めちゃくちゃ面白いです。
わたしは、専門的に歴史を学んだことはなく、知識の偏りもあり、知らないことも多いです。
でも、実際に存在した血の通った人間たちのドラマとして、歴史が好きです。
そして、色々調べていく中で、祖父が戦争に行った経験だったり、教科書で語られていない日本の歴史も知ったことで、日本の本当の姿を知ることになりました。
戦前の日本は軍国主義の悪い国だった、という自虐史観が戦後70年以上も続いていて、それが社会の風潮のように思います。
反省すべきことは反省すべきですが、良い部分は、良い部分として、伝えていくべきなのではないかと感じています。
日本の社会全体が自虐史観が風潮だとしたら、そこに生活する人たちも、自分自身を否定したり、認められなかったりするのも当然なのではないかと、思うのです。
教科書には載っていない、日本の良いところがたくさんあります。
そんな日本の良い部分を伝えたい。
少しでも日本の良い部分を知ることで、日本の良い部分を受け入れ、自分自身も受け入れることに繋がるのではないかと考え、教科書に載っていないけれど、日本を守ってくれた人たちのことについても、このブログで伝えています。
カラオケ
何をしている時が1番楽しいかな、と考えたときに思い浮かぶのがカラオケ。
カラオケしている時は、時間も忘れちゃいますし、何時間でも大丈夫です。笑
社会人になってからは、そんなに行ってないですが…。
最近の曲は歌えなくて、2000年くらいで時が止まってしまってます。汗
90年代のヒット曲や大好きなミスチルを歌うことが多いです。
あと、XJAPANの「Rusty Nail」を歌うとめちゃくちゃすっきりします!
でも、イメージと違うらしく驚かれます。笑
ミスチル(Mr.Children)
1995年~、25年以上ファンです。
後にも先にもここまで好きになったバンドはいません!
ミスチルファンの方はわかると思いますが、名曲が多すぎて好きな曲は選べません!
桜井さんの声と桜井さんの書く詞、ミスチルが作り上げる音楽が大好きです!
家事をするときとか車での移動中とか、生活の一部にミスチルの音楽があります。
桜井さんが書く詞からいつも元気をもらっています。
サイモン&ガーファンクルのファンでもあります。
ポールサイモン書く詞の世界観と彼のギターの音色のファンでもあります。
あと、QUEENも好きです。
世代的にリアルタイムでは知らなかったことが悔やまれる…。
フレディ・マーキュリーのいろいろな表情を見せる声が好きですね。
映画「ボヘミアンラプソディ」を見て、世の中のスタンダードに合わせる必要はないし、もっと自分らしく自由に生きていいんだ、ということをフレディから学びました。
海外ドラマとくに「24」
10年くらい前までは、休日になると家にひきこもり、海外ドラマレンタル三昧の日々を過ごしていました。
その中でも、ドはまりしたのが「24」。
最近は新規開拓はしてませんが、24は定期的に今でも見返しています。
続きが気になりすぎて、一気に見ちゃうので、時間に余裕のある人にしかオススメしないことにしてます。笑
24の魅力はなんといっても、予測不可能なストーリー展開です!
衝撃の展開に何度、フリーズしたことか。笑
単なるヒーローではない、主人公ジャック・バウアーのキャラも良いです。
シーズンを重ねるごとに、癖になってきます。笑
その他、デスパレートな妻たちも好きです。
国道(酷道)
もともと、道路の青看板や道路の地図?を見ることやドライブが好きです。
その中でも最近「酷道」という存在を知り、ハマって?しまいました。
国道というとイメージとして、通りの激しい片側2車線とかの大きい道路のイメージです。
しかし、中には道幅が狭かったり、ものすごい山道だったり、国道なのに川が流れてたりする?国道があるのです。
そういった国道を「酷道」と呼ぶようです。
国道なのに国道っぽくないところが、「酷道」の魅力だと思います。
個人的に好きなのは、山道や洗い越し(川)のある酷道がそそられます。
しかし、運転に自身がないので、実際に現地へは行かず、もっぱらYouTubeなどで楽しんでます。
YouTubeにアップされた酷道の動画を見ながら、寝落ちするのも楽しいです。
熊の目撃情報の収集(主に新潟県)
たまたまテレビで「三毛別ヒグマ事件」や「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の特集を見て、熊の怖さを知りました。
これらは、北海道に生息するヒグマなんですが、最近は本州でも「十和利山熊襲撃事件」が起こり、こちらは、比較的臆病とされていたツキノワグマが起こした事件なので、衝撃でした。
厚い毛皮の下には鋼のボデイ。そして、あの鋭い爪と牙。
あの重そうな体からは想像できませんが、なんと時速40キロで走るそうです。
とても人間が敵う相手ではありません。
日本での最強生物は熊だと思います。
そんな熊に遭遇したくない、と思い、新潟県ではどのあたりに熊が出てくるのか、調べるようになりました。
熊の出没マップというのがあるんですが、ちょこちょこ見るようになりました。
新潟県のどのあたりで目撃されたとかについて、無駄に詳しくなってしまいました。
調べ過ぎてしまうとかえって不安が大きくなってしまうこともあるので、ほどほどが良いのかなと思います。
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