どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!
さて先日、映像の世紀 バタフライエフェクト「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」が放送されていたので、視聴しました。
ヒトラー(アドルフ・ヒトラー)は、独裁者で、第2次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人への大量虐殺を行った人物として、悪い意味で後世まで名を残しています。
ですので、わたしも割と知っていることが多い人物です。
かたや、チャップリン(チャーリー・チャップリン)については、世界的に有名な人ではあるのですが、わたしの知識では、名前と世界的な喜劇王であることくらしか、知りませんでした。
その、ちょび髭を生やしたおとぼけな風貌から、面白い人という認識かなかったのですが、実は、その生き様は、めちゃくちゃかっこいい人物だったのです。
なぜ、ヒトラーとチャップリンなのか
なぜ、この2人が一緒に取り上げられているのか、番組を見るまではピンと来ませんでした。
実は、不思議と因縁を感じさせる2人でした。
- 誕生日が4日違いの同級生
- ちょび髭がトレードマークで、当時から風貌が似ていると言われていた
- 当時、出始めた「映像」を駆使して、人々の心を掴んでいった
ヒトラーは、1889年4月16日生まれ、チャップリンは、1889年4月20日生まれです。
そんな類似点を持つ2人ですが、目指す方向性は真逆でした。
ヒトラーは演説を武器に民衆に、「ファシズム」の優位性を訴え、やがて戦争へと巻き込んでいきます。
チャップリンは、笑いを武器に人々へ、「自由と民主主義」を訴えていきます。
映像を武器にしたヒトラーとチャップリン
第一次大戦の頃に、映画デビューを果たしたチャップリン。
若い頃のチャップリンは、戦争に突き進む社会に疑問を抱きながらも、そのことに意義を唱えることはありませんでした。
チャップリンは、サイレント映画で成功を収めます。
その後、「トーキー」という映像と音声を同時収録する手法が可能となりますが、
「トーキーは沈黙の美を破壊するから、好きじゃない」
と言って、サイレント映画にこだわり続けます。サイレント映画のままでも、チャップリンの映画はヒットを続けます。
一方のヒトラーは、トーキーの可能性をいち早く見抜き、プロパガンダ映画の制作に力を入れていました。
ヒトラーは「共産主義」と「ユダヤ人」を敵としました。
次第に、チャップリンもヒトラーの標的となっていきます。
その理由は、風貌が似ていたこと、チャップリンがユダヤ人だと見なされていたからでした。
ちなみに、チャップリンはユダヤ人ではないですが、「ユダヤ人のチャップリン」と言い切ったナレーションが入った映像をナチスは作成しています。
ヒトラーとの直接対決!チャップリン映画「独裁者」の制作へ
1938年、ヒトラーはドイツの隣国・オーストリアを併合。さらには、チェコスロバキアのズデーテン地方を割譲します。
このことが、チャップリンにヒトラーとの直接対決を決意させることになります。
ヒトラーが自分と似ていると言われていることを逆手にとり、ヒトラーのパロディ映画を制作。ヒトラーを笑いものにすることで、ファシズムを批判したのです。
そのために、嫌っていたトーキーを取り入れます。それだけ、チャップリンの想いが強かったのだと思います。
この頃は、アメリカはまだドイツと敵対していませんでした。
ヒトラーは名指しこそしませんでしたが、この映画制作には不快感を示し、チャップリンのいるアメリカを牽制しました。
アメリカやイギリスも映画制作に難色を示していました。しかし、当のチャップリン本人は、
「脅迫や検閲については心配はしていない」
と言ってのけます。
この自分の信念を貫くために、一歩も引かない姿勢がめちゃくちゃかっこいいですよね。
1940年、フランスがナチスドイツに降伏。ヒトラーはパリに入城します。
この知らせを受け、チャップリンは映画のラストシーンを変更します。
もともとは、戦争が終わり、兵士たちが楽しくダンスを踊るというラストでした。
しかし、映画の中での独裁者に似ているユダヤ人の主人公が、独裁者に間違えられ、舞台に上がり演説をするというラストに変更になりました。
そこには笑いは一切なく、自由や独裁者への批判を訴える、まさにチャップリンの魂の演説です。
周囲は、興行収入に影響することを恐れて、反対していたのですが、チャップリンはラストの演説は、決して譲りませんでした。
わたしもこの演説を初めてみました。
チャップリンの魂の叫びという感じで、英語なので字幕を追う感じにはなるのですが、それでも想いがバシバシ伝わってきて、本当に心動かされます。
今から、80年くらい前の演説ですが、現代を生きるわたしにも響く言葉がたくさんありました。
チャップリンの演説を聴いて、誰かの言葉をただ鵜呑みにするのでは無く、自分自身でしっかり考え、決断していけるようになることが必要だなと感じました。
そして「人生は美しく自由」この言葉がとても印象に残りました。
本来、1人1人の人生は誰かに虐げられたりするものではなく、美しく自由なはずなのです。
チャップリンの何がすごいのか、わたしなりの感想ですが、
この映画が制作されている時期が、ナチス、ヒトラーの全盛期だったということ。
また、時代は帝国主義のまっただ中だったということ。
まさに世界が戦争に突き進もうとしている時に逆行して、独裁者・ヒトラーに真っ向から対決を挑んだのです。
相当の勇気と強い想いがなければ、できないことです。
また、チャップリンの武器は、戦車でも銃でもない、「笑い」です。
人々を恐怖に陥れる本物に独裁者とは対照的に、チャップリンは笑いで人々を楽しませながら、自分の思いを訴えていったのでした。
この映画の批評に次のようなものがありました。
「笑いとはヒトラーが最も恐れる武器であり、それは一個師団以上の力なのだ」
まさにそうだなと、思います。
チャップリンが笑いを通して、自由の素晴らしさや独裁者への批判を訴え、それが広まっていくことはヒトラーにとっては厄介でしかないのです。
当時のドイツ、当時のドイツの同盟国であるイタリア、日本では、この「独裁者」は上映されていません。
当のヒトラーがこの映画を見たかどうかについては、様々な証言が残っていますが、公式な記録はありません。
当時はチャップリンは、「何としてもヒトラー本人の感想が聞きたいね」と言っています。
アメリカを追放される
ヒトラー率いるドイツは、敗戦。ヒトラーは自殺します。
第2次世界大戦が終結しても、チャップリンの闘いは続きました。
アメリカは、共産主義との対立姿勢を示していきます。
その一環で、映画界のウォルト・ディズニーら映画界の大物たちが、公聴会に呼び出され、共産主義者なのか、質問をされました。
チャップリンにも呼出状が届きます。チャップリンは呼び出しには応じず、
「わたしは共産党員ではありません。平和の扇動者です」
と電報を返しました。
この頃にチャップリンが制作した映画のなかに、次のようなセリフがありました。
「1人を殺せば悪党だが、百万人を殺せば英雄だ」
というもの。
これは、当時、核開発に突き進むアメリカに対する痛烈な批判でした。
この映画はアメリカの在郷軍人たちの反感を買い、大勢が映画館へ押しかけ上映禁止を訴える騒ぎになりました。
議員の中にも、チャップリンを国外追放にすべし、という声があがります。
そして、1952年、チャップリンが海外旅行で国外へ出たタイミングで、チャップリンはアメリカへの再入国が禁止され、そのまま国外に追放されました。
チャップリンが名誉を回復し、再びアメリカに入国するのに20年の月日を要することになります。
自由と平和のために、闘い続けたチャップリン
わたしは、チャップリンは特定の政治思想を持っていたわけではないと思います。
チャップリンが目指していたのは、1人1人が自由を謳歌し、平和に生きられる世界でした。
その世界の実現のためには、強大な権力にもひるまず、自分自身の信念を貫き通し続けたその生き様は、とてもかっこいいと思います。
今も世界で戦争が起こっています。人間の本質は、時代が進んでも大きく変わることはありません。
だからこそ、80年ほどの前のチャップリンの映画が、今もなお、現代に生きる人々の魂を揺さぶるのではないでしょうか。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうござい