未来型天命カウンセラーのみやです。
本日もお越しくださり、ありがとうございます!!
進学や就職・転職といった次のステージに進む時、受験や就職試験がありますよね。
試験に合格できると、次のステージに進むことができます。
受験や試験は、次のステージに行くために乗り越えるべき「壁」だと、明確にわかりやすいですよね。
でも、生きていると、受験や試験とは違う、目に見えないかたちで「壁」が現れます。
実は、その壁は次のステージに行くための目には見えない「試験」だったことに気づきました。
わたしがそのことに気づいたのは、「新選組」の芹沢鴨が暗殺された出来事からでした。
まずは、簡単に、「芹沢鴨」がどんな人物かお伝えします。
芹沢鴨とは…
芹沢鴨は、新選組の初代筆頭局長でした。
結成時からのメンバーであり、リーダーだったんですね。
芹沢は、剣の腕前もあり、学もあり、リーダーシップもある人物と言われていますが、粗暴な行動の数々が残されています。
特に、酒癖が悪く、酒が入ると手が付けられなかったと言われています。
酒の影響もあり、数々のトラブルを巻き起こしています。
芹沢鴨が起こした主なトラブル
力士乱闘事件
新選組が大坂出張中に起こした事件。
橋の上で力士のグループと遭遇。互いに「どけ」「どかない」の押し問答の末、キレた芹沢が力士を切り捨て。
このことで、力士たちとの乱闘騒ぎに発展。
芸妓断髪事件
芸妓を口説いたが、断られたためブチギレ。
腹いせに芸妓に断髪させた。
大和屋焼き討ち事件
芹沢は何度か、大和屋にお金を借りに行っていましたが、断られていました。
しかし、大和屋が他のグループにお金を貸していたことを知り、ブチ切れ。
怒った芹沢は新選組隊士を引き連れ、大和屋の土蔵に火を放つなど、焼き討ちを決行。
近隣の人々を危険に晒し、新選組の評判を落とす行為でした。
これまで数々の問題行動を起こしてきた芹沢でしたが、この事件が決定打となり、近藤勇や土方歳三たちは、芹沢をなんとかしないといけないと思い、芹沢鴨の暗殺へと繋がっていきます。
芹沢鴨の暗殺決行へ…
芹沢の数々の問題行動の影響で、新選組の評判は悪くなり、新選組の存続自体が危うくなりつつありました。
新選組は、会津藩のお預かりになっていました。
新選組の評判が悪くなるということは、会津藩の評判や立場が悪くなることにも繋がります。
芹沢鴨は、新選組、会津藩の両方にとっても、不都合な存在となっていきました。
こうして、芹沢鴨の暗殺という決断がくだされたのでした。
芹沢鴨の暗殺は、宴会の夜に行われました。
酒好きの芹沢は、いつも通り飲み続けていました。
近藤勇や土方歳三も芹沢に酒を勧めました。
その後、屯所(とんしょ)に戻った芹沢は、泥酔し、寝ていました。
芹沢が寝静まった頃、土方歳三、沖田総司、山南敬助、原田佐之助の4人が芹沢を襲撃。
死闘の末、芹沢は暗殺されたのでした。
この一件で、芹沢派の他の隊士たちも一掃されました。
名実ともに、近藤勇が新選組のトップとなりました。
この出来事以降、新選組は活躍し、勢力も大きくなり歴史に名前を残すような組織となっていったのです。
芹沢鴨は新選組が乗り越えるべき大きな壁だった…
こうした一連の流れを見ていくと、芹沢鴨は、新選組を作り、1人立ちさせることが芹沢鴨の役目だったように思えてきます。
まるで、父親のような存在です。
新選組がより大きくなっていくために超えていかなければいけない大きな存在
大きな試練
大きな壁
として役割を担ったのが芹沢鴨でした。
「芹沢暗殺」という出来事は、新選組が次のステージに進むための「試練」「試験」のような出来事だったのではないでしょうか。
結成時のメンバーであり、初代のリーダーだったことを考えると、新選組にとって本当に大きな存在だったと思います。
だからこそ、誰も芹沢に逆らえなかった、問題行動を止められなかったようにも思います。
問題行動があっても、新選組の結成時のメンバーでもあり、初代リーダーです。
芹沢を暗殺することには、相当の葛藤があったのではないかと想像できます。
もしここで、決断できなかったら、芹沢という存在を乗り越えられなかったら、おそらく、新選組は、芹沢と共に自滅していったと思います。
今のように歴史に名を残すこともなく、現代に大勢ファンがいるような存在にはなれなかったでしょう。
芹沢鴨という大きな試練を乗り越えたからこそ、新選組のその後の活躍があり、歴史に名を残す存在となり、現代でも、多くのファンがいるような存在となったのでした。
あなたに大きな試練か訪れた時、それはあなたが、次のステージに行くための試験なのかもしれません。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!