毎月、安定してお金が入れば、心も満たされると思ってた…
だから、安定の公務員に憧れていた…
公務員になってから、初めは希望に溢れていた。
公務員になる前に勤めていた、ブラックな会社よりは、断然恵まれた環境だったから。
でも、望まぬ異動で、今まで隠れていた仕事の不満が爆発し、心を病んだ時期があった。
休む勇気すらなかったから、療養には入らなかったけど、
仕事のモチベーションなんて、しゃぼん玉のように、すぐに壊れて消えてしまうようになった…。
前はそんなことなかったのに、お客さんと話すのが急に怖くなった。
何もかも、最悪だった…
でも、今思うと、それは次のステージに進むチャンスだったのだ。
価値観の崩壊が起こった
歴史を見ていると、一定のスパンでこれまでの価値観が一気に崩壊する。
長年の積み重ねの中で出てきた、歪みや不満が一気に爆発する。
ベルリンの壁崩壊、ソ連解体、ルーマニア革命…etc
あげたらキリがない。
人間にも同じことが言えるんじゃないかと、最近思っている。
自分自身に長年、強要し続けた価値観は、ちょっとしたきっかけで、崩壊してしまうのだ。
わたしの場合、そのきっかけは異動だった。
異動で完全に心が折れて、モチベーションはなくなり、プライドもズタボロになった。
でも、そのおかげで自分自身を振り返り、自分は本当はどう生きたいのか、本当は何を大事にしたいのか、気づくきっかけとなった。
だから、当時は苦しかったけど、今は良かったと思っている。
崩壊した価値観
安定志向の崩壊
安定したお給料が毎月もらえることが、何にも勝る正義だと思っていた。
アルバイトよりも正社員、正社員ならよりいわゆる一流企業の正社員、もしくは公務員になることが、人生の勝ち組だと思っていた。
それで、一生幸せな人生が確約される、と。
でも、なぜ自分がそこまで安定志向なのか、考えてみた。
父が失業したことがあったり、わたし自身、求人票通りの給料がもらえない、ブラック企業で働いたことのある経験が、大きく影響しているように思う。
お金のことで悩んだり、不安な毎日を送りたくなかった。
つきつめると、心の安定を求めていたのだ。
ストレスに振り回されることのない、心穏やかな毎日を送りたかった。
今思えば、それをお金で解決しようとしていた。
公務員になれたのだから、毎月、安定したお給料をもらって、心穏やかな日々が送れるはずだった。
でも、違っていた。
やりたくない仕事に1日の大半を費やし、
慢性的な人員不足で、常に時間に追われ、プレッシャーに晒され続け、
執拗なクレーマー気質のお客さんの対応で神経をすり減らし、
優秀な人材との比較の中、劣等感が募り、自分を否定し続ける日々…
ストレスで心は悲鳴を上げていた。
でも、そんなことでへこたれる自分がダメなんだ。
優秀な同僚のようにこなせない自分がダメなんだ。
全部、わたしが悪い…
と、さらに自分を追い込んでいった…
悪循環だった
あれ???
公務員になったら、幸せな毎日が送れるはずだったのに…
その時、ようやく自分自身は、心の安定を大事にしたかったことに気づいたのだ。
でも、ゴールを「安定した待遇」に設定していたため、まさに設定通りのゴールしか、得られなかった。
そのことに気づいた時、わたしが長年培ってきた安定の価値観は、ガラガラと崩れ始めていった。
子どもに背中を見せられる大人に
わたしは、子どもたちには、一流企業の正社員になってほしいとか、公務員になってほしいとは、思っていない。
自分の好きなことをみつけ、やりがいを持てる仕事をしてくれればいいな、と思っている。
それはまさに、自分ができないことを子どもに託していたのだ。
実際のわたしは真逆の生き方をしてきた。
お金のためだけに、やりたくない仕事をやりがいも持てず、ひたすら我慢し続けるだけの日々。
仕事ってそうだろ!
甘いこと、言ってんな!
わたしは、そんな価値観で生きてきた。
でも、そんなわたしの背中を見て育った子どもたちは、
仕事って辛いもの
大人になりたくない
と思うかもしれない…
このままじゃダメだ…
子どもたちに、生き生きとやりがいを持ちながら、仕事をしている姿を見せたいと思うようになった。
でも、今の仕事では、それは叶わない…
無理して楽しそうに装うことはできなくはない。
でも、それは違うような気がする。
無理し過ぎて、心を壊して、お金のために家族との時間や絆を失う人生って幸せなのだろうか?
我慢し続けるんではなくて、大事にしたいことを実現できる生き方や収入の得方を探していく方が良いのではないか、と思うようになった。
昔のわたしでは、ありえない考え方だ。
異動で心が折れ、公務員でい続けることに違和感を感じ、いろいろと模索してきたから、辿り着いた考え方だった。
お金は目的ではなく、自分が送りたい生活を実現するための手段に過ぎない。
お金が常にゴールで、どこかお金に振り回されてきたわたしが、ようやく「やりがいを見つける」という、次のステージに進めた瞬間でだった。
価値観崩壊の先に新たな価値観が生まれる
その時は、苦しくて、仕方ないかもしれない。
でも、それは次のステージに進むためのサインかもしれない。
いろんな生き方がある。
自分が今いる場所だけが、正解じゃない。
自分が大事にしたい事を知り、それを守っていける収入の得方だったり、生き方を探していくことができるから。
わたしの中で、そんな新たな価値観が生まれてきた。