第二次大戦中、「命のビザ」を発行し、多くのユダヤ人難民を救った日本人として知られているのは、外交官の杉原千畝です。
実は、この命のビザよりも遡るのこと2年前。
自らの失脚も覚悟で、多くのユダヤ人を救った1人の軍人がいたことは、あまり知られていません。
今回は、その軍人・樋口李一郎中将の功績をお伝えしたいと思います。
ユダヤ難民が駅に押し寄せる
1938年3月、ソ連と満州の国境付近にあるオトポール駅に、ナチスドイツからの迫害から逃れきたユダヤ人が、立ち往生していました。
ドイツに忖度した満州国の外交部が、ユダヤ人たちの入国の許可を渋っていたのです。
この地域は、3月でも記憶がマイナス30℃にもなり、寒さと飢えで死者も出始めていました。
ユダヤ難民の救援を決断
そんな状況を危惧した、満州・ハルビンのユダヤ人協会会長が、樋口中将に難民の救援を依頼してきます。
当時、日本とドイツは日独防共協定を結び、友好関係にありました。
軍人の立場で考えると、ユダヤ難民の救出は、慎重に考えなければならない…
けれど、樋口中将は、「人として正しいことは何だろうか」と考え、ユダヤ難民の救援を決断します。
樋口中将は、部下に指示を出し、ユダヤ難民に対し、衣類や食糧の支援を行います。
そして、樋口中将は、南満州鉄道の総裁に直談判し、救出のための特別列車を運行させることを取り付けます。
この移動ルートは、「ヒグチルート」と呼ばれました。
樋口の決断のおかげで、多くのユダヤ難民が救われたのです。
ドイツからの抗議
樋口のこうした行動に対し、ドイツは黙ってはいませんでした。
日本政府に対し、厳重な抗議文書が送られてきます。
樋口に対する処分も要求されていました。
友好関係にあった、日本とドイツの関係に影響を及ぼしかねない出来事でした。
この事態を受けて、陸軍内部でも、「樋口が暴走した」として、樋口中将への批判が上がりました。
とうとう、樋口中将に対し、軍司令部から出頭命令が出ます。
信念を曲げなかった樋口中将とドイツの抗議を一蹴した東條英機
呼び出したのは、当時満州国参謀本部参謀長だった、東條英機でした。
樋口中将は、東條に対し、自身の考えを次のように訴えました。
「わたしは自分の取った行動は、決して間違っていないと信じています。満州国は日本の属国でもないし、ドイツの属国でもありません。法治国家として、当然すべきことをしただけです。たとえドイツが日本の友好国であり、ユダヤ民族の抹殺がドイツの国策であっても、人道に反するドイツの処置に屈するわけにはいきません!」
「東條参謀長! ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを、正しいとお思いになりますか!」
樋口中将の訴えを聞いた、東條参謀長は、
「よくわかった。ちゃんと筋が通っている。私からもこの問題は不問に付すように伝えておこう」
と、樋口中将の言い分を認めました。
そして、日本政府は
「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」
とし、ドイツ政府の抗議を一蹴したのです。
そして、樋口中将は、失脚どころか栄転となり、異動になりました。
栄転となった樋口中将は、自身の手掛けたユダヤ人救済を、同期でユダヤ人問題専門家でもある安江仙弘大佐に託します。
1938年3月に樋口中将が開拓した「ヒグチ・ルート」は、1941年6月にドイツ軍がソ連に侵攻し、独ソ戦が勃発するまで有効だったとされます。
この3年の間、ヒグチ・ルートで救出されたユダヤ人難民の総数についは、正確な人数ははっきりしていません。
イスラエルの団体・ユダヤ民族基金は、その総数を「2万人」としています。
樋口中将の危機を救ったユダヤ人
時は流れ、1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。
しかし、終戦後の8月18日、ソ連が千島列島の最北端の占守島に攻め込んできました。
北方軍を指揮していた樋口中将は、現地の部隊に対し、自衛のための徹底抗戦を命じます。
ソ連は占守島を手始めに、北海道をも占領するつもりでした。
しかし、日本軍の撤退抗戦により、予想外の苦戦を強いられ、北海道占領を断念せざるを得なくなりました。
北海道占領を断念せざるを得なくなったソ連は、樋口中将を何としても、戦犯にしようと考えます。
樋口中将がソ連に滞在していた時期があったため、スパイ罪を適用させる方針でした。
アメリカに対し、樋口中将を戦犯として引き渡すよう要求したのです。
樋口中将の危機を救ったのが、樋口中将に命を救われたユダヤ人たちでした。
世界ユダヤ協会が、ソ連の要求を拒否するよう、アメリカ政府に訴えたのです。
その結果、アメリカ側は樋口中将の引き渡しを拒否したのでした。
さいごに
軍の幹部という難しい立場にありながら、すべきことを決断し、実行した樋口中将。
わたしは初めて、この出来事を知った時、こんな日本の軍人がいたのかと思うと同時に、人が持つ心の美しさのようなものを、再確認できたような気がしました。
同じ日本人として、誇らしい気持ちになりました。
組織に属していると、自然と組織としてどうあるべきか、組織の理論で考えるようになってしまいます。
自然と視野も狭くなるように思います。
しかし、樋口中将は、軍という組織に属しながらも、広い視野、公平な目線で物事を見ていたのではないか、と思います。
だからこそ、「人としてどう行動すべきか」という基準で判断して、すぐ行動できたのではないか、と思います。
また、樋口中将の意見を理解し、認め、外部からの圧力に屈しなかった上司の東條参謀長。
彼は、戦後、東京裁判で「A級戦犯」となっていますが、そんな東條英機のこれまで知らなかった一面を知ることができたのは、良い気づきでした。
樋口中将は、見返りは一切求めていません。
むしろ、失脚覚悟でユダヤ難民を救いました。
結果として、このことが後年の樋口中将を救うことになったのは、とても感慨深いものがありました。
善い行いは、巡り巡って自分にも返ってくるものなんだな、と感じました。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!