本日もお越しくださり、ありがとうございます!!
現在、毎週日曜日に、大河ドラマ「黄金の日日」の再放送を視聴しています。
黄金の日日の第12回、「叡山焼討」の回で、
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の妻・ねね(演:十朱幸代さん)が主人公の助左衛門(以下、助左)に言った
「己を活かす場所は、己で探さないと」
というセリフが心に響き、この記事を書いています。
※ちなみに、秀吉の妻・ねねは、近年は、「おね」と言われています。
自分のやりたいことができず、悶々としていた助左
助左は、今井家の奉公人です。今井家は、交易などの商売を手広く行っています。今でいうと、大きな総合商社みたいな感じです。
助左の夢は、船に乗って異国と交易をすること。
ちなみに、数話前の回で、助左が乗っていた船が難破し、ルソン(現在のフィリピン)のアゴー島に漂着します。
そこで、紆余曲折ありながらも、現地の人々と心を通わすことができ、「ルソンとの交易の航路を開拓し、必ず、ルソンへ戻ってくる」と決意し、日本へ戻ります。
日本に戻った助左。
今井宗久に、ルソンとの交易を申し出ます。今井宗久は、今井家の主で、今でいうと社長みたいな感じです。
宗久は、快く助左の申し出を受け入れてくれます。宗久は、後の細かい段取りは、実際に交易を取り仕切っている部署と相談するよう助左に伝えます。
そこで、助左は担当部署に出向き、ルソンとの交易の話をします。
社長のオッケーはもらってるし、すんなりと実現すると思いきや、
「通常業務で忙しいんだから、新しい航路なんか、開拓する余裕なんてないよ」
「社長に気に入られてるからって、調子に乗るなよ」
「交易を仕切ってるのは、俺らの部署。いくら社長が認めても、俺らが認めなきゃ、船は出せない」
というようなことを言われてしまいます。
セリフは、現代風に意訳してます。
助左にとっては、まさかの展開…
ちゃんとトップの許しももらってるに…
夢の実現を打ち砕かれた助左は、夜は、1人涙で枕を濡らし、悶々とした日々を送ることに。
黄金の日日は、戦国時代の話なんですが、現代の会社でも、こういうことってあるよなー、リンクしてるなーと思いました。
秀吉の妻・ねねと出会い、気付きをもらう
そんなことがあり、悶々としていた助左。
ひょんなことから、秀吉の妻・ねねが、秀吉に会いに行くのに、お供をすることになりました。
そこで、助左はねねに自身の近況を話す機会がありました。
助左は、自分の希望が受け入れられず、気持ちが腐ってしまっている、と話します。
それを聞いたねねは、
「今井にずっといなきゃいけない理由でもあるの?」
「己を活かす場所は、己で見つけないと」
と助左に言ったのでした。
その言葉を聞いた助左は、目から鱗というか、
「その発想はなかったです」
「父も母も今井の奉公人でしたので」
と答えます。
助左って、外国との交易が夢ということもあり、戦国時代の人としては、かなり革新的な人、という印象がありました。
そんな助左が、
「ずっと今井家にいるものだ」
「今井家以外での可能性を模索する発想すらなかった」
というのは、すごく意外に感じました。
助左は、両親も今井家にいたということから、
「ずっと今井家で勤めあげるのが当たり前」
という思い込みというか、刷り込みがあったんだと思います。
比較的、革新的な考えの助左でさえ、他者から言われるまで気づかなかったことから、
思い込みや刷り込みの解除って、自分だけでは難しいんだなと感じました。
知らず知らずに思い込んでることがわたしにもありそうで、怖いなという感想を持ちました。
わたし自身も助左とリンクする経験あり
実際、わたしも助左とリンクする経験があり、
わたしは職場でずっと同じ部署ばかりに配属されていて、
自分自身の経験を積むために、ずっと別の部署に異動したいと思っていました。
毎年、
「異動したい」
と異動願いを出し続けていても、何年も希望は通らず…
今の会社を辞めるなんてとんでもない、定年まで頑張らないと!
という思い込みがわたしにはあり、必死で会社の中で自己実現を完結させようともがいていました。
わたしと助左には
「助左は明確にやりたいことがある」
「わたしは、とりあえず異動したいだけ」
という違いはありましたが…
だんだん、今の職場に本当にやりたいことがないのなら、ここにいることにこだわる理由はないのでは?
そんな想いが湧き上がり始めていました。
ブログを始めて、今の職場以外の価値観触れるうちに、わたしの心のブロックは溶け始めていきました。
ブロックが溶け始めたことで、やりたいことが見え始めてきたように思います。
わたしは、黄金の日日が毎週、楽しみで、先の展開はあまり知らないのですが、
助左が今井家に残るのか、今井家に縛られず、ほかに活路を見出だしていくのかが、助左が大商人になる鍵になるかもしれないと思っています。
史実の秀吉も己を活かすを探し求めていた
黄金の日日の中で、ねねは、秀吉も織田信長に仕える前は、今川家に仕えていたと、話します。
さらに、
「もし、あのまま今川にいたら、桶狭間の戦いで討死にしてたかもしれない」と。
実際、史実の秀吉も信長に仕える前は、今川家の家臣・松下之綱という人物に仕えていました。
それ以前は、針を売りながら、各地を旅していたと言われています。
貧しい農民の子とも、足軽の子とも言われる秀吉。
何の後ろ盾も持たなかった秀吉は、自分自身の力で、活路を見出だしていくしかなかったと思います。
そんな秀吉は、「己を活かす場所は己で探してきた」からこそ、天下人まで昇りつめることができたのかもしれません。
「己を活かす場所は、己で探さないと」
は、あくまでドラマのセリフですが、史実のねね様が、実際に言っていそうな、史実とリンクしたセリフに感じました。
助左のように、生き方に悩んだ時は、1人で悩み続けるよりも、別の価値観に触れることで活路が見いだせることがあります。
本日はここまで。最後まで、お読みいただき、ありがとうございました!!