海籠り志カウンセラーのみやです。
今回もお越しくださり、ありがとうございます!!
さて、今回の記事タイトルにも書かせてもらった
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
は、わたしの好きな言葉の1つです。
「鬼滅の刃」の冨岡義勇の名言です。
鬼になってしまった妹の禰豆子(ねづこ)を斬らないでほしいと頼み込む主人公・炭治郎に対し、放った言葉です。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」の意味は、
生かすも殺すも、与えるも奪われるも相手しだい。
他人の思うままにさせるな。
人生の主導権を他人の自由にさせるな。
というふうにも解釈できます。
わたしはこの言葉がきっかけで、本当にやりたいことを仕事にするために、辞めようかずっと悩んでいた公務員を辞める決断ができました。
辞めたくてもいざ辞めるとなると…
わたしはずっと公務員の仕事が辛くて、いつか辞めれたらいいなと漠然と考えていました。
公務員以外に生きる道を探りたいと思っていた頃、ブログでお金を稼げる方法があることを知りました。
思い切ってブログを始めたことがきっかけで、本当にやりたいことがみつかり、それをお仕事にしていく道筋が見えてきました。
そして、ついに公務員を辞めるというところまで来ましたが、あんなに辞めたくて仕方なかったのに、いざ辞めるとなると、どうしようかと悩んだりしていました。
嫌だと思っていても、いざ手放すとなると良い部分が見えてきたり。
まるで、何年も来ていないサイズも合わない、今の自分には合わない服があるけど、いざ手放すとなると、
もったいない…
また着るかも…
と思って手放せないような感覚です。
辞めようと思い、行動に移そうとした時、
まだここで頑張れるんじゃないか、みんなそうやって、毎日我慢して働いてるのに、自分は我慢が足りないないんじゃないか…
せっかく勉強して苦労して入ったのに、もったいないんじゃないか…
15年近く勤めてきたという、誇りというか自負みたいなものもあった…
若い頃は転職を繰り返していたわたしが、10年以上も同じ所に勤めることができた…
コミュ力皆無だったわたしが、公務員になったおかげで、対応力や観察眼みたいなものを磨くことができた…
そんな想いがいろいろ出てきては引っ込んでを繰り返していました。
じゃあ、公務員に専念し、定年まで勤め上げたいかと聞かれれば、そうではない。
わたしにはもう、本当にやりたいことがあってその道筋も見えている。
あとは、最後の戸締まりだけでした。
そんなとき、決断をさせたのは…
そんなわたしに最後の戸締まりを決断させたのは、
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
でした。
民間企業も同じだと思いますが、公務員は毎年、毎年、大規模な異動があります。
毎年、異動の時期になるとみんなソワソワして、仕事も手に付かなくなります。
わたしの同僚は、異動の前日、異動発表が気になりすぎて、仕事が手に付かず早退してました。
えっ!?と思うかもしれませんが、それくらい自分の生活を左右する一大事なのです。
異動によって、転職するのと変わらないくらい仕事の内容がガラッと変わります。
人間関係も全て変わります。
パワハラ系の上司がいたら、絶望です。
勤務先も変わるので、家から近くなったり、遠くなったり、出勤の方法や朝、家を出る時間も変わります。
忙しい部署か、暇な部署かによっても、生活が大きく変わります。
忙しい部署だと、残業や休日出勤も必要なるので、プライベートにも影響が出ます。
異動一つで、自分のキャリアや生活までもがガラッと変わってしまうのです。
一応、異動希望は出せますが、希望は通りません。
何のために、異動希望を書かせてるんだ?
と思うくらいです。
ちなみにわたしの個人調べでは、
〇〇には異動したくないとか、ここに行きたくないと異動の申告書に書くと、その行きたくないと書いた所に異動します。
これは、
「ここには行きたくない」
「この仕事はしたくない」
とか書いてしまうと、人事が「公務員の仕事、舐めんな!」と怒って、あえて行きたくない部署に飛ばしているという話を聞いたことがあります。
つまりは、自分では異動先は決められません。
顔も名前もよく知らない人が決めたことに、黙って従うしかない状態です。
それによって、自分の仕事やキャリア、人間関係、プライベート、自分の感情までもが、大きく左右されてしまうのです。
そう、自分の人生なのに、何も自分では選べない。
顔も名前もよく知らない人に、まさに生殺与奪の権を握られているのです。
そのことに気づいた途端、公務員を続けることがバカバカしくなってしまいました。
何で、自分の人生なのによく知らない人に自分の生活まで左右されないといけないんだろう?
毎年、毎年、異動に一喜一憂して異動に振り回される人生に嫌気が差しました。
いやいや、公務員や会社員なら、それが当たり前だよ、と言われるかもしれません。
でも、わたしは、それが当たり前の環境に納得がいかなくなってしまいました。
いろいろ悩んでいたけど、
「もう、や〜めた」
という気持ちになったのです。
生殺与奪の権を他人に握られたままでは、自分自身が納得した人生は歩めません。
不満を抱えたままの生活では、自分自身の力を精一杯、発揮するために頑張ることもできません。
わたしはそう想い、辞める決断ができたのでした。
そして、改めて自分の生殺与奪の権は自分自身でしっかり握ることが、生きたい人生を生きるために必要だと思った出来事がありました。
憧れるのをやめましょう
最近、大谷翔平選手が結婚を発表しました。
大谷選手は囲み取材で、子どものことを聞かれ
自分以外のことは言うと叶わないような気がするのであんまり言いたくないですね。
と答えていました。
奥さんにかかるであろうプレッシャーを牽制した素敵な回答だなと思ったと同時に、大谷選手は、努力の人だなと思いました。
自分のこと以外は言うと叶わない気がする
と発言していますが、
自分の努力で何とかできることには、努力を惜しまない人なのではないか、というのを言葉の端々から感じました。
大谷選手は、運任せ、人任せ、自分の才能任せにせずに野球が上手くなるための努力、最高のパフォーマンスを維持するための努力は惜しまなかったんじゃないかと。
だからこそ、今の大谷選手があるように思いました。
ある意味、
自分自身の生殺与奪の権をしっかり握っている人
だなぁと。
大谷選手の有名な発言で、WBCでアメリカ代表との決戦を前にチームメイトに言った
「憧れるのをやめましょう」
という発言もあります。
これは、アメリカ代表には野球をしている人ならば誰しもが憧れるような凄い選手がいる。
でも、憧れていては勝つことはできないし、超えることはできないからということでした。
憧れること自体は、悪いことではありません。
でも、憧れというのは、自分の手の届かない範囲にあり、今の自分ではどうにもできないものだったりします。
公務員しか生きる道がないと思い込んでいた頃のわたしは、
「もっと楽な部署に異動できないかな」
と思っていました。
いい部署に異動できたら、ストレスから解放されて、毎日が楽しくなる。
そう思って、異動に憧れを抱いてきました。
でも、希望が叶うことはありませんでした。
そもそも、わたしは生殺与奪の権を顔も名前もよく知らない人たちに預けたままでした。
自分の生活を良くする方法は、憧れるしかありませんでした。
でも、結局は、自分が望む人生、憧れる人生を生きるには、自分自身の生殺与奪の権は他人握らせず、憧れることをやめることが大事なのでした。
あなたも、自分の想うように生きられないと感じた時、自分自身の生殺与奪の権を自分自身でしっかりと握り、憧れることをやめてみませんか。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!