一人っ子のわたしが実家に帰らないと決めた理由

どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!!

大学生の頃、わたしは実家に帰らないという決断をしました。

それから、時々、帰省することはありますが、20年近く親と別々に暮らしています。

若い頃は、特に年代が上の方たちには、「一人っ子なのに、何で実家に帰らないの?」とよく言われてきました。

わたし自身も、


自分が親不孝者な薄情な人間なんじゃないか


とモヤモヤした気持ちで生きてきました。

帰れば親は喜ぶだろう…

でも、それは自分に向けて引き金を引く行為というか、自分がいなくなってしまう気がして、どうしてもできなかったのです

今は程よい距離感があるおかげか、良好な関係を築けています。

自分に自信がなく、臆病だった子ども時代

子どもの頃を思い出すと、親から褒められた記憶がありません


何でもできて当たり前で、褒められませんでした。

でも、失敗した時はしっかり怒られます。

よく覚えているのが、

一生懸命、勉強して漢字テストで95点が取れた時。


わたしは今回こそは、親に褒められるんじないかと、自信満々でテストを見せました。

でも褒められるどころか、「何でその一問かできなかったんだ」とダメ出しされただけでした

ちなみに、わたしは、毎回100点が当たり前の神童ではありません。

どちらかと言うと、母のほうが厳しく、あまり褒めてはくれませんでした。

わたしが何かに挑戦しようとすると、「あんたにできるわけない」と言われるのが常でした。

父はというと、心配症で、母とは別の意味で、何でも「ダメ」と言っていました


少しでも危なそうなことや、変わったことはさせませんでした。


よく覚えているのが、


5、6歳の時、父と公園に行ったのですが、


ブランコも滑り台もジャングルジムも危ないからダメだと、怒られました


幼稚園では先生や友達と普通に遊んでいるのに…


と悲しくなりました。

結局、遊べるものがありません。

もう父とは公園には行かない!と思ったものです

そんな感じで育ったので、自分に自信がなく臆病な子どもでした。

看護学校事件

高校生になり、進学先をどうするのかという時期になりました。


母が「地元の看護学校を受験しろ」と言ってきました。

そもそも、わたしは看護師志望ではありません

なので、その申し出は断りました。

でも、母は諦めてくれず、

勉強しているうちに、看護師になりたくなるかもしれないから受験しなさい


としつこく、とうとう喧嘩になりました。

母が看護学校を受けさせたかったのは、実家から通える学校の中で、1番学費が安かったから。

また、看護師は募集も多く、専門職として一生就職先に困らないから。

というのが、理由でした。

確かに父の勤めていた銀行が倒産した頃で、家のことを考えれば、母の言う通りにすべきだろうと思いました。


母は決して、いじわるで言っているのではなく、母なりにわたしが将来困らないように考えてくれてのことなのもわかります。

自分なりに悩みました。


どんな仕事もそうですが、本人にやる気がないのに一人前になれるほど、甘い世界ではありません

だから、わたしは、母の嫌味に耐えながらも、看護学校の受験はしませんでした。

進学で家を出る

結局、奨学金を借りて、実家からは通えない距離の大学に進学し、一人暮らしを始めました

大学生になり、新しい出会いがあり、アルバイトをしたりと世界が広がりました

実家にいた頃は、どこの家庭もうちと同じだろう、と思っていました。

大学の友人やバイト先の人など、いろいろな人と話していく中で、みんなの家がうちと同じではないことを知りました。

もっと理解があったり、意見を尊敬してくれたりと。

そして、外の世界では褒めてもらえました

バイト先で、一生懸命に仕事をしていると社員の人だったりに褒めてもらえるというか、正当に評価してもらえました。


一生懸命にやる、それは当たり前のことで、褒められるものではなかったわたしにとっては、初めは上手く受け入れられませんでした。


でも、そんな経験を積み重ねていく中で、少しずつ自分に自信が持てるようになってきました

実家に戻るか、戻らないか

就職活動の時期になりました。

外の世界を知り、少しずつ自分を認められるようになっていたわたしは、実家に帰らないと決めていました。

でも、親は、地元に帰って就職しろ、と何度も言ってきました

親と揉めたくなかったわたしは、

地元では求人が少ない、と嘘をつきました

そうすると、今度は父が、


父の知人の企業に入れてやる


と言ってきました。いわゆる、コネというやつです

確かに、父の言うとおりにすれば、それなりのところに就職はできる。


実家に住めば、生活費もかからない。

父の言うとおりにすれば、楽に生きられるかもしれない

だって、もし失敗したしたとしても、わたしが悪いんじゃない。

親が決めたんだから、親の責任だ。

でも、そんなふうに考えて生きていきたいか?


親のために人生を犠牲にしたと思いながら、生きていたいか?

やっと、自分に自信を持てるようになってきたのに、今、帰ったらきっと親に影響されて、元の自分に戻ることになるだろう

そんな未来が見えました。

この調子では、結婚も親が決めるんだろう。


婿入りしてくれそうな適当な男性を親が見繕ってきて、30歳くらいで結婚するんだろうな、と。

どうして自分の人生なのに、自分で決められないんだろう

やっぱり、自分のことは自分で決めたい!

コネ入社なんかじゃなくて、自分の実力でどこまでできるか、可能性を試したい!

そんな想いが湧き上がってきました。

ここで実家に戻れば、自分で考えることをやめ親に頼り、結局は親に甘えて生きていくだろう

それは、本当の自分を封印してしまうというか、まるで自分自身に向けて引き金を引くような行為に思えました。

だから、わたしは経済的、精神的に親から自立して、生きようと決意したのでした

一人っ子のわたしがなぜ、実家に帰らなかったについて、書いてみました。

本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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