海籠り志カウンセラーのみやです!本日もお越しくださり、ありがとうございます!!
今回は、乳がん検診で「要精密検査」になったことでの気づきをお伝えしたいと思います。
ちなみに、精密検査の結果、全く問題なかったので、安心して読み進めていただければと思います。
なんで、自分が…
乳がん検診の「要精密検査」の結果を見た時、最初にそう感じました。
頭の中が真っ白になって、全身の血のけがサーっとひいていくのがわかりました。
というのも、これまで健康診断は、A判定ばかりでした。
そして、わたしはタバコも吸わないし、お酒も飲まないし、暴飲暴食もしないので、それなりに健康には自信があったからです。
だから、そんな自分が何で…
という想いがありました。
さらに、癌だったらどうしよう…
進行してて、あと少ししか生きられなかったら…
生きられたとしても、抗がん剤治療とか辛い治療をしないといけないのだろうか…
乳房の切除をしないといけないのだろうか…
悪いことばかりが頭の中を駆け巡りました。
仕事中でしたが、とても仕事が手につかず、抜け殻のようになっていました。
落ち着かず、何回もトイレに行っていました。
しばらくすると、とにかく、一刻も早く検査して、自分の身体がどういう状態なのか、知りたいという気持ちでいっぱいになりました。
ただ、大きな病院にいくつか電話しましたが、予約がいっぱいで診れない、もしくは1カ月以上待たなくてはいけませんでした。
1カ月以上もこんなモヤモヤした気持ちでは過ごせない。
そう思い、行ける範囲の病院を検索しまくり、ようやくすぐに診てくれる病院がみつかりました。
個人院ですが、人間ドックもしていて、口コミも良い感じでした。
要精密検査の結果をもらった翌日、その病院で検査してもらいました。
検査の時と検査結果を聞く前は、めちゃくちゃ緊張しました。
検査結果は、何も異常なし、特に心配することはない、とのことで、ほっと一安心でした。
何も異常がないのに、なんで再検査になったのか、
先生が言うには、集団検診は少しでも何かあると再検査に回される、それが、早期発見のための集団検診の役割でもあります。
と言われていました。なるほどー、と思いました。
確かに、早期発見のための健康診断ですからね。
そんなこんなで、ようやく日常が戻ってきました。
自分が長く生きられないかも、と思った時、考えたこと
再検査の結果を聞くまでは、大丈夫だろうと思う反面、万が一ガンだったら…
という想いが交錯していました。
わたしはもともと心配性で、最悪の事態を想定しがちです。
そんな性格もあり、初めて少しだけ「死」というものを意識しました。
もしも、長く生きられないとしたら…そう考えた時、次のようなことを考えました。
・自分がシワシワのおばあちゃんになるまで、子どものことを見守りたい。
アラフォーになると、白髪出てきたなあとか、お腹が出てきたなぁとか、肌のハリが…
と、見た目の衰えが気になってくるお年頃です。
年を取りたくないなぁ、老けたくないなぁ、と思い、アンチエイジングを頑張ってみたり…。
でも、シワシワのおばあちゃんになるまで、生きられることって、幸せなことなんだと気づきました。
そして、何より大切だったのは子どもの成長を見守りたいことでした。
どんな大人になるんだろう…
絶対にその姿を見たいな、シワシワのおばあちゃんになるまで生きて、子どもの成長を見守りたいと強く思いました。
・海籠り志カウンセラーとしてちゃんと実績を残したい。
ようやく自分がやりたいことが見つかった。
海籠り志カウンセラーとして、やりたいことが見つからず悩んでいる人が本当にやりたいことを見つけるお手伝いをしたい。
好きなことを仕事にして、毎日、活き活きと過ごせる人を1人でも増やしたい。
そう思っていたけど、自分としてはまだ納得いくような実績が残せていないと感じていました。
だからこそ、本当にやりたい仕事で自分が納得できるような実績を残したい、と強く思いました。
・国内や海外の行きたいと思っていたところに行きたい。
日本国内でもまだ行ったことがないところが、たくさんあります。
海外でも行ってみたいところがあります。
これまでは、時間もお金も必要だから、いつか行ければいいかな。
くらいに思ってきました。
でも、もし、自分には限られた時間しかないのなら、後悔しないようにすぐに行きたいところに行こうと思いました。
・公務員はすぐ辞めよう。
もともと、公務員は辞める予定でした。
万が一、病気だったら、翌日にでも退職届を出そうと思いました。
いくつか理由はあります。
ストレスだらけの仕事をしながら、治療に専念するのは無理だと思いました。
実際、同じ職場で、闘病している人がいらっしゃいますが、何も配慮はありません。
出勤できるんだから、100%で働けるでしょ?
という上司の考えなので、こんなとこで治療に専念なんかできないと感じていました。
そもそも、ストレスだらけでやりたくない仕事に自分の貴重な時間を費やすのが、時間がもったいなく思えました。
その分の時間を子どもと過ごしたり、行きたいところへ行ったり、海籠り志カウンセラーとしてもっともっと、頑張るほうがわたしにとっては、有意義だと感じました。
つまり、ストレスばかりの仕事はすぐ辞めて、子どもとの時間を大切にしながら、海籠り志カウンセラーをしながら、行きたいところへ行く。
これが、自分がしたい生き方なんだと、再認識できました。
なかなか、リアルに死を意識することはないので、結果的には問題なかったこともあり、これはこれでよい体験だったなあと思っています。
なんで、追い込まれないと本当にやりたいことが見えないのか
本当にやりたいこが見えてこない一因に、普通に生きていると、死というものは身近でなくて、むしろ何十年も生きていかなきゃいけない…。
そう思うことか多いです。
時間は限りあるものではなく、無限に時間があるように思いがちです。
人生80年時代とも、100年時代とも言われていて、老後のためにお金をためないといけない…。
だから、自分のやりたいことは、後回しにして、将来の心配ばかりしてしまいます。
やりたいことがあっても、今は我慢して働いて、老後にのんびり好きなことをしようと思ったり。
わたしも最初は、公務員を途中で辞めるのはもったいないと思っていました。
年金や退職金が老後には必要だからです。
だから、定年まで我慢して働いて、老後に行きたいところに旅行したり、のんびり好きなことをするのが良い生き方だ、と思っていました。
でも、それができるのは老後も健康で体力があるから、できることだと気づきました。
わたしは当たり前のように、いつまでも元気でいられると思っていますが、そんな保証はないことに気づきました。
むしろ、ずっとストレスばかりの仕事をしていたら、それこそ病気になる可能性が高いんじゃないか…。
仕事の忙しさやストレスが原因でドライアイになり、コンタクトができなくなりました…
健康診断は問題はないけど、風邪をひくと咳が1ヶ月近く止まらなくなるので、定期通院せざるをえなくなりました…
疲れやストレスが溜まると、なぜか背中や左腰に痛みが出て思うように動けなくなったり…
1つ、1つは重病ではありませんが、確実に身体が悲鳴を上げていたのです。
わたしは、未来は「今」の積み重ねだと考えていますが、健康もまさに毎日毎日の積み重ねだと感じでいます。
心身の健康が何よりも大事だと実感しています。
そんなことを考えていたら、公務員を辞めることが怖くなくなりました。
そして、うちの父は銀行員でそれなりに退職金が貰えるはずでした。
でも、定年間近の50代後半の時、銀行が破綻しました。
退職金はもらえませんでした。
本当に人生は何が起きるかわからないと実感させられました。
銀行員だから、公務員だから人生100%保証されるわけじゃないと感じています。
不確実な将来のために、今を我慢するのではなく、今この瞬間からでも、自分が本当に生きたい生き方をする。
自分が本当に生きたい生き方を継続していくために、例えば仕事や収入をどうしていけばいいかを考える方が、確実な未来に繋がるのではないかと考えています。
武士道=後悔しない生き方をすること
武士道のバイブルとも言われる「葉隠」という本にこんな言葉があります。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
この言葉だけ聞くと、武士道=死ぬこと、死ぬことを推奨しているようにも思えてしまいます。
この言葉には続きがありました。
現代語訳
どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。私も含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。(しかし)図にはずれて生き延びたら腰抜けである。この境界が危ないのだ。図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができるのである。
Wikipedia
意訳
どちらにしようか迷う場面では、より死に近いほうを選ぶほうがよい。難しいことは考えず、覚悟を決めて進むだけだ。重要な場面で思うように行動することは、難しい。人間は生きる方が好きだ。おそらく、生きるほうに理由をつけて、そっちを選ぶだろう。結果、自分が思うような目的も果たせず、ただ生き延びたのなら、それは腰抜けだ。
この判断は難しいが、死に近い方を選び、迷いなく覚悟を決めて進んだ結果、目的を達することなく、死んだとしてもそれは腰抜けにはならない。それが武士道の根幹だ。1日、1日死んだつもりになって行動すれば、迷いから解放され、自分の思うように行動することができる。そうすることで、落ち度なく職務を全うすることに繋がる。
人は理由をつけ無難な道を選んだり、迷うから、結局、目的を達することができない。
でも、死んだつもりになって取り組めば、迷いからも解放され、何事もうまくいくようになる。
ということを伝えようとしていると解釈しています。
つまり、「武士道とは死ぬことと見つけたり」に隠された意味は、死ぬことを推奨するのではなく、「いつ死んでも後悔しないように生きよ」ということではないか、と思っています。
昔は、責任を取るため、切腹したりとか、病気になれば現代では治せる病気でも、命を落とす可能性が高く、乳幼児の死亡率も高く、平均寿命も現代よりも短いです。
そんなとこからも、現代と比べると死との距離が近かったので、後悔しないように生きるという感覚がより強かったんだと思います。
いつ死んでも後悔しないように生きたから、明治維新があった
幕末から明治維新にかけて、多くの人が自分の想いを貫き、行動しました。
その結果、国の体制さえ大きく変えることになりました。
武士道が生きていた時代、現代よりも死との距離が近い時代。
1人1人が、いつ死んだとしても後悔しない選択をしたからこそ、国を変えるほどの大きなエネルギーとなったと感じています。
ふと、大河ドラマの主人公になった2人の人物を思いだしました。
「青天を衝け」の渋沢栄一と「新選組」の近藤勇。
渋沢は、裕福な豪農の跡取り、近藤勇は天然理心流道場の主人でした。
2人とも、そのままの人生を歩めば、それなりに穏やかな一生が送れたと思います。
でも、2人とも国を良くしたい、そのために何かを成し遂げたい、という想いから、家を出るのです。
紆余曲折あり、渋沢は幕府の役人なり、近藤勇は新選組の局長となりました。
明治維新後も渋沢は生き続け、銀行や保険など様々事業を成功させ。現代にも大きく影響を与えました。
そして、91歳という大往生遂げます。
成功者と言えます。
近藤勇は、幕府を守るため新政府軍と戦いますが、最後は新政府軍に捕まり、処刑され33歳という若さで、この世を去りました。
結果だけ見れば、敗者です。
自分の想いに従い、後悔しないように生きた近藤勇。
結果として、命を落とすことになってしまいましたが、葉隠の教えに照らすと、腰抜けでも恥でもなく、むしろ武士道を全うしたと言えるのではないでしょうか。
現代、新選組に心惹かれるファンが大勢います。
そのことがまさに、証明とも言えます。
渋沢栄一は、その時、その時でその時で身を置く場所は変わるのですが、日本を良い国にし、民の生活を良くしたいという想いは、ずっと一貫していて迷いがありませんでした。
自分の働く場所が変わっても、迷いなく自分の想いを抱き行動した結果、さまざまなことを成し遂げることがでしたした。
渋沢もまた、武士道を全うしたと言えると思います。
まとめ
わたし自身が再検査になったことや武士道からの気づきをまとめると、
・時間には限りがあることに気づけると本当にやりたいことや望む生き方が見えてくる。
・不確実な未来のために今を犠牲にするより、いつ死んでも後悔しない生き方をするほうが、結果的に得られるものが大きい。
ということでした。
そんな視点から、物事を見てみると、いろんな気づきがあるかもしれないので、ぜひ、お試しください。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました!!