どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!!
わたしはサイモン&ガーファンクルが好きで、よく聴いてます。
特に、ポールサイモンの詞の世界観が好きです。
そんなサイモン&ガーファンクルの曲を聴いていて、気付いたことがありました。
歌詞の中に、god(ゴッド)やJesus(ジーザス)といった、「神」が詞の中にたびたび登場します。
実は、わたしも作詞をすることがあるのですが、詞に「神」を入れる感覚が自分には全くないことに気がつきました。
その感覚の違いが、面白いなと感じています。
バックボーンが違う
そもそも、わたしとポールサイモンでは、生まれ育ってきたバックボーンが違います。
ポールサイモンは、ユダヤ系アメリカ人です。
アメリカは、キリスト教圏です。
ただ一つの神のみを信仰すること一神教で、その神の存在は、絶対的なものです。
全てのもの中心にいるのが、一つの神様という感じです。
そういったバックボーンの中で育つと、神の存在というのは、自然と大きくなるだろうなと。
ポールサイモンの詞にたびたび、神が出てくるのは当然です。
さてさて、わたしはと言うと、クリスマスはお祝いするし、その1週間後には神社に初詣に行くという、平均的な日本人です。
一神教のような唯一の圧倒的な存在の神様の存在が、わたしの中にはいないのです。
八百万の神々
日本人の古来からの宗教観として言われるのが、「八百万(やおよろず)の神」です。
大きな力を持つ自然、山や海、川、木などに神々が宿っていると考えられています。
亡くなった人を神として、祀ったりもします。
ただ一つの絶対的な神様が存在するのではなく、たくさん神様がいるという考え方になります。
まさに文字通り、八百万の神です。
わたしは特に意識はしたことはありませんでしたが、振り返ってみると、ちゃんとわたしのバックボーンとして根付いているなあと思います。
山を見ると、何となく恐れ多い感覚があります。
特に、霧がかかった山の姿は荘厳な感じで、そこには山の神々がいるように感じさせます。
でも、そんな山や川、海、田園から日々、エネルギーをもらっています。
さらに、季節ごとの山や海などの自然の変化を見ていると、想像力が掻き立てられます。
ブログ、詞などの表現のヒントをもらえるのです。
人生の節目節目で、仏壇に手を合わせご先祖様に報告する、ということもありますよね。
これも、八百万の神の宗教観かなと。
わたし自身は、実家に仏壇がないので、節目節目にお墓参りに行ったりすることがありました。
普段から意識しているわけではないですが、ご先祖様が見守ってくれている感覚があります。
祖父は戦争に行っていますが、2回くらい死んでもおかしくない場面があったそうです。
祖父曰く、無事に戻って来れたのは、ご先祖への感謝を忘れなかったからと話していました。
そのことも、わたしに影響を与えています。
祖父母を始め、その前の世代のご先祖様たちが、厳しい時代を生き抜き、命を繋いでくれたからこそ、今のわたしが存在できていると思っています。
ご先祖様への感謝の気持ちは、忘れないようにしたいと思います。
ポールサイモンとわたしの感覚の違いから、日本古来から続く、八百万の神々について考えさせられた、そんな日でした。
本日はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!!